オリーブオイルの風味を正しく評価する官能評価の現場の空気感
「いいかい、勢技世、子供の頃のバースデーケーキを思い出してごらん。」 オリーブオイルの風味を正しく評価する官能評価の現場シーン
当時、業界で広く知られたティスターのひとりだったヘロニモ・ディアス・リバス(Geronimo Diaz Rivas)氏はティスティンググラスを手で温めながら、緊張で顔を引きつらせていた私に優しく言いました。 オリーブオイルの風味を正しく評価する官能評価の現場の空気感

課題がきっかけで、官能評価技法の学びの道へ
前回はオリーブオイルの品質を語る上でなぜ、官能評価が必要であるかをお伝えしましたが、今回は官能評価の現場の様子やルールについてお伝えしたいと思います。私が初めてIOC(国際オリーブ協会)の官能評価技法を学んだのは、1999年冬のスペインでした。
当時、食品メーカーで担当していたオリーブオイルは国内で爆発的に売れ行きを伸ばしていました。そのため、その需要に応えるためには品質の安定したオイルを安定的に仕入れる必要がありましたが、厳しく設定した社内の風味規格をクリアするオイルをスムーズに仕入れることが大きな課題となっていました。
品質を見極め仕入れる私たちが、オリーブオイルの風味を正しく評価する世界共通のものさしを正しく理解する必要があったのです。そのような経緯で、わたしはIOC本部のあるスペインで、IOCの公定法に基づくバージンオリーブオイルの官能評価技法を学ぶ機会を得たのです。
とはいえ、最初に現地で与えられた時間はたった10日ほど。その後は通信教育のようなやりとりを約1年続け、翌年、再び現地で習得度を確認してもらうというスタイルでした。
そんな研修初日、ヘロニモがかけてくれた言葉が、冒頭の「バースデーケーキ」でした。「迷える子羊」状態だった私は、まるで呪文にかかったように、言われるままに思い浮かべました。
ケーキを照らすろうそくの炎。その向こうに見える家族の笑顔……。
すると、不思議なことに、心がすうっと落ち着いてくるのがわかりました。
今も、鮮明に覚えている出来事です。
ティスティングの第一歩は、心を落ち着かせ評価に集中すること
彼の言葉には、深い意味がありました。
機器による分析では、機器のコンディションを整えることが大前提です。では、官能評価の場合はどうでしょう。人間自身が測定機器の役割を担います。だからこそ、自分の状態を整え、評価に集中できるようにすることが大切なのです。
日々の評価でも、心の状態が結果に影響することは実感していました。例えば、難解なメールを読んだ直後に評価すると、結果が大きくぶれることがあります。普段の食事でも、悲しいことがあると、ごはんの味がしなくなる。そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ヘロニモは、さらりと「私という機械」の整備をしてくれたのでした! オリーブオイル
IOCが定めるテイスターのさまざまな行動規範
IOCが定める文書のひとつに、「バージンオリーブ油の官能評価方法」(COI/T.20/Doc. No 15/Rev. 11、2024年版)があります。この文書には、バージンオリーブオイルの風味を表す特有の用語をはじめ、ティスティンググラスや用具類、検査条件など、細部にわたる決まりが記されています。これらについてはまたの機会にご紹介するとして、今回は、テイスター自身に求められる行動規範に目を向けてみたいと思います。
まず、テイスターについて記した箇所には、個人的な好みを脇に置き、自分が感じ取った感覚を報告すること、そして静かに、リラックスして、慌てず、試料に最大限の感覚的注意を向けることが記されています。この指示のなかでも、特に「リラックスして、慌てずに」というテイスティングに向き合う上での姿勢の大切さを、ヘロニモは私に最もわかりやすい方法で教えてくれたのだと思います。
さらに、一般的な行動規範は日常の細かなところにまで及びます。例えば、次のような決まりがあります。
✔ ティスティング開始前の飲食について
検査開始の少なくとも30分前からは、たばこやコーヒーを控えること。また、少なくとも1時間前からは食事を控えること。
スペインでの滞在中は、朝いちばんから訓練がありました。そのため、ホテルでの朝食は抜くようにとの指示。人間、食べ物の記憶はなかなか消えないものですね。あのとき、

テイスティング開始時間が早い日は、刺激の強いコーヒーとパンの朝食も我慢します
✔ 香りが残るものを身につけないこと
検査時に香りが残る可能性のある香水や化粧品などは使用せず、石鹸は無香料のものを使用すること。
このルールの大切さを身をもって感じたのは、日本で社内テイスターの教育を始めて数年後のことでした。あるときから、女性テイスターのお一人の化粧品の香りが、とても強くなったのです。リーダーの立場として、香りを控えてもらうように伝えるのは、なかなか心苦しいものでした。
ルールを知っているだけでは不十分で、なぜ必要なのかを初期教育の段階からしっかり伝えておくこと。その大切さを実感した出来事でした。

オリーブオイルの微妙な香りの違いを感じるためには、香りの残るものは身につけない
✔ 体調や心理状態に気を配ること
体調が悪く、特に嗅覚や味覚に影響が出ている場合や、心理的な影響で集中力を保てない場合は、無理に評価を続けず、辞退してパネルリーダーに伝えること。
ヘロニモは、「朝、奥さんと口げんかをしてイライラしているようなとき」も、評価は辞退してもらいたいと言っていました。なるほど、と思う一方で、なんとも人間味のある話だなと感じたものです。

テイスティング時の集中力を保つためには、心身の万全な管理も重要
✔ 携帯電話の電源を切っておくこと
これは、極めつけでした!
評価に集中するためには、周囲の環境も大切です。電話の着信音ひとつで集中が途切れてしまうこともあります。このルールからも、評価現場を熟知した人たちのプロとしての厳しい姿勢が感じられます。 オリーブオイルの風味を正しく評価する官能評価の現場の空気感

テイスティング中はデジタル機器から意識的に距離を置きスマホ・デトックス状態に
世界共通のものさしを支えているルールには理由がある
パネルのテイスターに必要とされる行動規範について話すとき、私がまず伝えるのはルールそのものよりも、その目的です。
IOCの最新版である2024年版文書Rev. 11(第11改訂版)では、バージンオリーブ油の官能特性を評価する手順を定め、それらの特性に基づく分類方法を確立することがこの国際的な方法の目的と定義されています。私なりに解釈すれば、それは、世界中のテイスターができるだけ共通の基準で評価できるようにすること。そのために、細かな決まりが設けられているのだと感じています。
世界共通のルールがここまで細かく定められ、改訂を重ねていること。その背景には、バージンオリーブオイルを正確に評価しようとする専門家たちの熱意があるのだと感じます。その思いを受け止め、私自身もルールをしっかりと守りながら、日々の評価に臨みたいと思います。試料や検査環境を整え、評価する人間自身もできる限り同じ条件で臨むこと。一つひとつのルールは小さなことに見えるかもしれません。でも、その積み重ねが、世界共通のものさしを支えているのです。
テイスティンググラスの向こうに見える景色
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評価直前にティスティンググラスを温めているときは、自分の心が落ち着く情景を思い描いてみるようにテイスターの方々には話してきました。
静かな海辺の風景、美しい山々、大好きな人の笑顔……。思い浮かべるものは、人それぞれです。官能評価は、静寂のなかで行われます。その静けさの向こうに、それぞれの心の中の風景が広がっている。厳格なルールに支えられた世界でありながら、そこには、人間らしい一面があります。測定機器そのものが人間であるからこそ、こうした心の準備も必要なのです。
そして私は、ティスティンググラスの向こうにあの日と同じバースデーケーキをいまも思い浮かべています。 水野勢技世